家族を持ってわかった「容疑者Xの献身」が非モテ30代の自分に響いた理由

東野圭吾原作の容疑者Xの献身が昨日テレビ放送されていたので久々に見ました。原作も読んだし、原作以上に公開当初に見た映画にどハマりした現在47歳の自分。

「また感動しようっかなあ」と思って久々にテレビの前で正座。

うん。面白い。面白かった。でも、何かが違うんですよね。

クライマックス、堤真一の号泣シーン。昔ほど泣けませんでした。前に見た時は、自分が堤真一に憑依したかと思うほどに、いや、堤真一が自分に憑依したかと思うほどに泣けたんですけどね。

同じように久々に見た容疑者Xの献身が泣けなかったという人はいないでしょうか。

そこでこの記事では、久々に見た容疑者Xの献身が泣けなかったかについて書いてみたいと思います。

結論からお話すると、久々に見た容疑者Xの献身が思ったよりも泣けなかったのは、自分が結婚をしたからでした。

それでは詳しく書いてみたいと思います。

目次

容疑者Xの献身の堤真一は報われない非モテから共感の嵐

自分が容疑者Xの献身を最初に見たのは、33歳独身キャバクラ通いの鬱々とした頃でした。

画面に登場する堤真一の疲弊した様子、一人暮らしで独身中年男性、彼女なし。

そして報われない。

優秀なのに、うだつの上がらない教師をしている堤真一の報われなさを見て、どこか共感と安心を覚えた記憶があります。

「ああ、俺と同じかそれ以上に報われないじゃん!!!!」

結婚もせずに家族もいない、それでいて出世もしない、能力はまあまああるはずなのに報われない!

そんな自分と堤真一を重ねていたわけです。

もう、それだけで、福山雅治の推理なんてそっちのけで満足する設定でした。

容疑者Xの献身の堤真一は非モテの望みを叶えた

そんな容疑者Xの堤真一は非モテの希望を叶えます。

(ここからはネタバレなんで読むのを気をつけてください)

容疑者Xの献身の堤真一は、最後に愛する人のために殺人を犯します。

頼まれてもいないのに、自ら汚れ役を買って出るんですよね。で、俺ってやっぱり報われないよね?でも、そういう役回り、それで良いのさという加害者なのにヒロイン被害者モードへ突入します。

これが、まさに非モテの思考であり希望。

見て!こんなにやってる俺を見て!

最終的に堤真一の殺人は愛する人、刑事、劇場で見ている人全てにあらわになるのですが、ここがもう非モテ的には絶頂です。

見て!俺って報われない人生だったよね!

当時30代小太り独身非モテで見ていた容疑者Xの献身、自分には刺さりまくりでした。

容疑者Xの献身に共感できなくなったのは結婚をしたから

時はたち10数年ぶりに見た容疑者Xの献身を見た自分は、結婚して子供も1人の親となりました。

まあ、堤真一には共感できないですよね。

もう、俺を見て!っていうモードじゃないんです。毎日子供に「パパ見て!見て!見て!」と連呼される自分はもう、俺を見て!なんていう余裕はないんです。

悲劇のヒロインぶって、人様のために身を投げ出す余裕がないわけです。

となると、堤真一のあの一連の流れ、お手紙、号泣の全ての刺さりが弱いんですよね。

容疑者Xの献身は女性受けイマイチ?

N=1なんでなんとも余談レベルなんですが、初見だったうちの奥さんもあんまり刺さってなかった感じです。

思い返すとAmazonのレビューも男性目線が多かったようだし、容疑者Xの献身は、女性受けあんまよくないんじゃないかなって思います。

あの自己犠牲感で身震いする感覚って、男性特有のような気がします。

まとめ:容疑者Xの献身にハマったら非モテの可能性ありなので注意!

というわけでまとめると、容疑者Xの献身にビビッとハマったら非モテの可能性があるので要注意です。

できれば「面白いけれど、そこまでやるかなあ?」くらいの感想にとどめれるレベルだと良いですね。

それでは!

容疑者X
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