小室哲哉が週刊文春の不倫報道をうけて引退してしまいました。
不倫の一報を妻からのLINEで知ったときは「闘病中の妻がいるのにゲスいなあ」という返信をしたのですが、今回の引退会見のLINEを見たときは(妻のLINEは自分にとっての芸能速報でもあります)、「え・・。」という言葉しか返信できませんでした。
自分は比較的音楽を聴いている方だと思います。
若い頃は野外ライブに出かけたり、最近はAppleMusicなどのサブスクリプションサービスを使っている程度の音楽好きです。
主に洋楽を聴いていたちょっとしたスノッブ気取りというのでしょうか。
そんな自分にとって、小室哲哉はアーティストの範疇ではなく、「芸能人」というくくりでした。
もう、ただの偏見なんですけどね。
だけども、仕事をしながら、会社へ帰る道中と、ちょっとしたタイミングで小室哲哉の引退について考えてしまうのです。
たかだかファンでもない芸能人の引退であるはずなのに。
帰宅してからは、AppleMusicで妻と一緒に赤子をあやしながらglobeの曲を聴きました。
「この曲、俺、1番好き」
「この曲の時、バイトばっかしてた」
「あ、この歌も知っている」
そうこうきゃっきゃきゃっきゃ言いながら、引退会見の様子を伝えたナタリーの記事を読みました。
淡々と会見の内容を綴ったナタリー
実際の会見は未だ見ていません。
でも、このナタリーの記事だけで良いのかなという気がするほどに、なんだか全てが伝わってくるような記事でした。
2010年に僕は裁判所にいました。そのときに裁判官から判決を聞いたときのような気分になりました。罪があれば必ず償い、罰を受けなければいけない
週刊文春の取材を受けた時のことをこのように語り。
僕は芸能人になりたかったわけではなく、音楽家になりたかった。ヒット曲を作りたかったのではなく、好きな音楽をつくりたいと思っていた
90年台の絶頂時に拗ねた目で小室哲哉を見て、カラオケで歌われる彼の歌をまるで親の敵のような想いで聴いていた自分は「売れ線の歌ばっかり作りやがって」と思っていました。
でも、あらためてglobeの歌なんかを聴くと、全然売れ線なんかじゃないんですよね。
好きな音楽、格好いいなという音楽を一生懸命作っていたんだろうなっていうのは、そうじゃなきゃあんな朱玉の名曲たちは生まれないよなと、今ではよくわかります。
「この35年で音楽活動で1番うれしかったこと、つらかったことは?」という質問には「1番は非常に難しいけど、90年代に書いたヒット曲をみんなが楽しんでくれる姿を見るのが幸せです。1番辛いのは今日です」と返し
「1番辛いのは今日です」
定年する日に「今日が1番辛い」なんて言える?
小室哲哉は本当に音楽が好きだったのでしょう。
今あらためてglobeの歌を聴いていてよくわかります。
まったく流行りになんて擦り寄ってないし、さほど一貫性もない、それでいてキャッチーメロディー。
「今日が1番辛い」、それはもちろん衆人環視の中で不倫についてのお詫びをしたり、妻や親族への申し訳なさがあってというのもあると思います。
でも1番大きいのは、大好きな音楽を手放さければならないということでしょう。
35年間、絶頂とどん底を味わいながら、ひたむきに続けてきた音楽を作って、皆に届けるという仕事を辞めなければならない。
それが辛いのでしょう。
もし自分たちにも定年というものが訪れて、20年や30年のサラリーマン生活、もちろん多少の浮き沈みはあるでしょう、長きに渡る仕事を辞めることになった時。
「今日が1番辛い」なんて言えるのでしょうか。
小室哲哉の「今日が1番辛い」は、大好きなことを仕事にできるという幸せと、仕事を失うこととなったときは、大好きなものさえ失ってしまうという絶望が入り混じった複雑で悲しい音が鳴っているなと感じました。
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