映画ソーシャルネットワークをあらためて見てFacebookの衰退の必然などを感じる

 

昨日の昼は妻に素早く昼寝の体勢に入られてしまいました。

必然的に娘の面倒は自分が見ることに。

最近はよく笑うようになってきて、ようやく可愛さをひしひしと感じるようになってきたのでまあ良いのですが、寝ない。

昼間に全く寝てくれないのです。

静かに一人でふにゃふにゃ言っている分には問題はないのですが、ひとたびぐずりだすと結構な厄介を巻き起こします。

 

基本放置ていても泣き止みません。

抱っこするしかないのですが、泣き声がとびきり大きい年頃です。

うるさくて抱っこしながらTVも見れないし、ラジオも聴くことができません。

そんな時に字幕がついた映画が便利だと気がついたことは収穫でした。

 

なんとなく契約していたNetflixをぼんやりみて、昔見た映画「ソーシャル・ネットワーク」を見ることにしました。

 

リズム感のある映画ソーシャルネットワーク

言わずと知れたFacebookの創業時のあれやこれやを描いた映画です。

実ははじめて映画ソーシャルネットワークを観た数年前、自分はほとんどFacebookの事を知りませんでした。

当然アカウントもありません。

かつてmixiで知らず知らずのうちにポエムを綴ってしまっていたという過去があったからかもしれません。

Facebookとは距離を置くようにしていました。

 

それでも映画ソーシャルネットワークは楽しむことができました。

一度レンタルをした後、わざわざiTunesStoreで購入をしたほどです。

テンポが心地よかったのでしょう。

飽きること無く、最後まで何となく見ることができました。

 

観た後に気がつきましたが、映画ソーシャルネットワークの監督はデビット・フィンチャーです。

自分が青年期にもっとも打ちのめされた名作「セブン」の監督であり、社会人になってから不甲斐ない自分を投影させて、何度も見返した「ファイトクラブ」の監督であるデビット・フィンチャーが監督だったのです。

どおりで。

 

久々に観た映画ソーシャルネットワークはパソコンの世界だった

久しぶりに娘を抱っこしながら、ギャン泣きの中で観た映画ソーシャルネットワークは相変わらずのテンポの良さ。

地味にピーターティールなんかも出ていて新たな発見もありました。

抱っこしながらあっという間に観終わりました。

 

最後まで観て今の時代との違和感を感じます。

みんなスマホを使っていないのです。

Facebookが登場した頃、スマホがなかったのだから当たり前ですが、劇中でのマークザッカーバーグはちょっとしたタイミングでノートPCをいじります。

多分今なら間違いなくiPhoneでしょう。

 

Facebookがパソコン時代に産まれたサービスだということ、そしてスマホ全盛の今、明らかに勢いが不足していることの必然をまざまざと見せられます。

 

Facebookはマークザッカーバーグの発明じゃなかったということ

Facebook、そのアイデアはパクリだったということも、なんとなく今のFacebook離れに影響しているのかなあと映画ソーシャルネットワークは教えてくれます。

 

アイデアに固執せずに、あらゆる人たちで共有していくことによって、神々しいサービスに昇華されていくというのが今の考え方のような気がします。

まさに仮想通貨的な。

 

Facebookは映画ソーシャルネットワークを観る限り、パクリが発端です。

アイデアをパクって、技術者がブラッシュアップさせていった。

自分のアイデアに固執するのならまだしも、アイデアをパクるとか。

今ならかなりダサい行動でしょう。

 

そのダサさが今Facebook離れが加速していることと無縁ではないような気がします。

 

はじめから終わっていたFacebook

彼女にフラれた腹いせにはじめたサイトがきっかけで、アイデアの大半はパクリ。

で、一緒に会社を立ち上げた友人を騙して追いやる。

自分がFacebookにイマイチハマれなかった理由をなんとなく証明しいるような映画がソーシャルネットワークでした。

 

でもそのエグい感情を、未だ創業者が存命中にエンターテイメントして観られる映画になっている。

ソーシャルネットワークはやっぱり面白いし、デビット・フィンチャーの映画にはハズレがないなあとよくわかる週末でした。

 

 

ソーシャル・ネットワーク (字幕版)

 

 

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